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ハーバードから見た日本の現代建築史 -ライフ・ストーリーとして歴史を語る-ハーバードから見た日本の現代建築史 -ラ…

2019.03.16

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ハーバードから見た日本の現代建築史 -ライフ・ストーリーとして歴史を語る-

ハーバードから見た日本の現代建築史 -ライフ・ストーリーとして歴史を語る-

授業の紹介が続くが、今学期は日本の現代建築史研究が専門でGSDで博士を取得したセン・クアンの授業を取っている。彼は東大の隈研吾研究室の助教でもあり、直前まで東大の冬学期で教えていたものと同じものを、GSDで教えているとのことだ。授業の範囲は、明治維新以降から今までの日本建築だ。

なぜ日本の建築学科で歴史を学んだ自分が米国のハーバードまで来て日本建築史を学び直すのかと言えば、単純にクアン先生の授業が面白いからだ。日本で学んだ歴史の授業は主に各時代の代表的な作品を扱い、その様式の分析や発展の仕方などについて体系的な知識を獲得することに時間かける。

クアン先生の場合はあくまで「人」にフォーカスし、その人が出会ったもの、影響を受けたもの、言ったこと、を分析することで、20世紀・21世紀を代表する建築家たちの人生がどのように重なり合い、連なっていくことで、日本の現代建築の文化が形作られていったのかを描き出す。

このような「丹念に人生をたどる」手法は建築歴史系の論文では一般的だが、それはあくまで丹下健三や篠原一男などの1人だけにフォーカスしたものであることが多く、クアン先生のように複数の人物をとても深く掘り下げ、丁寧により出した「糸」を織りなすことで、学生に自分が描く「絵」を提示するようなスタイルは、ある意味超人的だ。

本当に驚かされるのが、その半端じゃない知識量である。海外の人と日本建築のことについてディスカッションすると、表面的・断片的に感じることが多々あるのだが、彼の場合はそんなことが全く無い。

グロピウスが日本建築を案内された時に関心を持ったのは、現代的なものよりもむしろ桂離宮のような古典建築だった。コルビジェが日本建築を案内された時は、多分桂離宮は面白いと感じていなくて、彼が唯一スケッチしたのは卍字亭の卍型の座席の配置だけだった。佐野利器は濃尾の大地震に影響を受けて構造家を志した。東大教授の内田祥三の息子である内田祥文が第二次世界対戦直後に亡くなったことで、丹下健三に戦後を代表する建築家になる道が開けたのではないか。丹下健三は東大卒業後に昼は前川國男の事務所で働き、夜は坂倉準三の事務所でインターンをすることで、コルビジェの弟子2人の知識を余すところなく吸収したのだろう。コルビジェが前川國男事務所を訪れた時の写真を見れば、前川國男のすぐ横に構造エンジニアの木村俊彦の姿があるので、日本の建築界ではいかにエンジニアとの協働が重要かということがわかる。篠原一男の影響というのは彼が所属した東工大の外にも広く及んでいて、彼が亡くなった時に妹島和世がとても感情的になっていたことがあった。妹島和世事務所が立ち上がった時の唯一の所員が西澤立衛で、そこにインターンの塚本由晴がいた。

などなど。。なんでそんなことまで知っているの!?というエピソードを織り交ぜながら、あくまで彼らが残した文章、図面、足跡などの事実に基づいて、近現代日本建築全体のライフ・ストーリーというものを説明していく。僕にとっては全ての授業が新しい発見に溢れ、これまでの不勉強を恥じるとともに、自分自身の現在につながる物語として感じてしまっている。

今まで歴史や理論の授業というのは、自分にとってそれほど得意でない分野だったのだが、外国人の視点からみた日本建築史の授業をきっかけに、今は興味が爆発しているような状況だ。海外に住むことで日本への見方が変わるのが今までもたくさん経験してきたことだが、かつてないほどに変わったのがこの授業だ。

次の記事ではセン・クアンの近現代日本建築史の視点・フレームワークを紹介する。この授業を履修したことは、自分の建築観に甚大な影響を及ぼすことになる。

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