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形式の時代形式の時代
2011.06.20
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形式の時代
※本記事は、取締役COOの川島が、2011年に北京の建築設計事務所”MAD Architects”に半年間インターンをした際のブログに一部編集を加え、転載しています。
自分が担当のプロジェクトの設計の進捗だが、なかなかMaさんが「これで行こう」と言えるようなデザインに辿り着くことができない。一回気に入ってくれた案もあったが、次のディベロップの段階での伸び代がなかったためボツ案となった。その後は作ってはボツ、作ってはボツの繰り返しである。一緒の設計チームで自分のボスであるLukeも苦痛だとボヤいている。
しかし、試行錯誤する中で、自分が何をわかってないのか、Maさんが求めているものは何かが段々わかってきた。以前Maさんは建築の新しい空間や形式に興味がないと書いたが、それを修正しなければならない。形式に興味がないのではなく、形式=ダイアグラムというシンプルな概念では説明できないものを求めているのだ。
その証拠として明らかに言えるのが、MADの一番トップのデザイナー二人がどちらも建築教育を受けていない事実である。もちろんディテールを設計する熟練の建築士は他にもいるが、重要なプロジェクトの最初の段階でコンセプトデザインをするのはいつもこの二人だ。一人は完全なる天才肌でかっこいい形を作るのが大得意な一方、気まぐれにMADを辞めたり復帰したりを繰り返す人。もう一人は勤続五年でMaさんやQunさんの好みを知り尽くした人で、こちらも三次元の形を作るのが得意だ。
この人達が作るコンセプトデザインはいつも、建築教育を受けた自分たちにとっては理解が難しいものが多い。説明するのは難しいが、とにかくすっと頭に入って来ないわかりにくい形をしているのだ。しかし設計のプロセスの中で建築として洗練させていくにつれて、それらは不思議と魅力的でパワフルな建築の姿へと近づいていく。そのプロセスを見るのは本当に面白い。
こういうスタイルが常なのだから、形式的な、ダイアグラム的な設計プロセスが染み付いている自分にとって、MAD的なデザインを生み出すのは難しい。Maさんの目にかなう建築になるように、もっと必死にやらなければいけない。
ここで突然、建築にとってダイアグラムがどれほど重要なのかという疑問が頭に浮かんできた。考えて見れば、今の建築界は、少なくとも日本の建築界は、ダイアグラム全盛の時代である。SANAAや藤本壮介、それに続く若手の建築家、そして学生たちはみな新しいダイアグラムで新しい建築を作ろうとやっきになっている。
そしてダイアグラムに集中するあまり、他の作り方を忘れてしまっているきらいがある。少し落ち着いて20世紀の代表的な建築を思い浮かべてみれば、ダイアグラム的でない名建築なんていくらでもある。それなのになぜこうもダイアグラムに集中してしまうのか。ダイアグラム的な建築はSANAAや藤本壮介、乾久美子に任せておけば良いじゃないか。
ダイアグラム的に建築を作ってしまうことの弊害はいくらでもある。まず言えるのは作家性が消えるということだ。今の若手建築家や学生が作る建築がシンプルな箱に四角い窓を開けたものばかりになってしまうのは、ダイアグラムを重視するあまりに自分の中での選択肢を狭めてしまっているからだ。「作家の交換が可能」だと一般にも言われる理由はここにもある。
次に言えるのは、ダイアグラムを重視して設計をすることは非常に簡単だということだ。全ての建築の設計は様々な問題を解決して形にするというプロセスを辿る。ここで、多くの問題を解くことが可能なシンプルなダイアグラムを発見し、それが新しい形式だと思い込んで設計を進めると、いとも簡単にかっこいい建築が出来上がるのだ。そしてそれは他の人から見ても理解がしやすく、評価を受けやすいものとなる。皆がこの非常に「楽な」方法に飛びついている。
10年後や20年後にこの2000年代の建築デザインの流行が「形式の時代」と呼ばれるのは確実だろう。自分が知らないだけでもうそう呼ばれているのかもしれない。とにかく、ダイアグラム的な思考に陥りがちな状態から抜けださなければと思う。この道のりは長く険しいものになるのは確実だ。