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1000年前のMAD1000年前のMAD
2011.05.18
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1000年前のMAD
※本記事は、取締役COOの川島が、2011年に北京の建築設計事務所”MAD Architects”に半年間インターンをした際のブログに一部編集を加え、転載しています。
今まで実際に見た中で一番衝撃を受けた建築は何かと聞かれれば、海外ならコロッセオ、日本なら平等院鳳凰堂だと答えるだろう。この衝撃を受けるという現象には、その建築が本当に良い物であるということと、自分の中での期待度が低いという二条件が必須である。この二つの建築に対して期待度が低かった理由はシンプルで、有名すぎるかだ。かたやローマ一番の観光名所、かたや日本の硬貨に姿が刻まれているという条件では、建築そのものに対する期待度が低くなるのも無理はない。
平等院鳳凰堂を見たのは二年前の春だ。建築学科の旅行で京都に行った折に、有名だから見てみようという程度の心構えで訪れた。入場料を払って入口をくぐると、立派な庭とともに伝統的な建築がいくつか建っているのが見えた。その無難な雰囲気に完全に油断してしまっていたのだが、突如として大きな池と、その上に覆いかぶさるように建つ平等院鳳凰堂が現れた。平等院鳳凰堂は日本の伝統的な様式で作られている。しかし、その姿は「異形」としか言い用がない。実際に見ると、平等院鳳凰堂は圧倒的な浮遊感を持っていたのだ。
鳳凰の形を建物全体で表現しているコンセプトは、日本人なら誰もが知っていることで、勿論その写真も何度も教科書等で見ていた。しかしこれ程までに「飛んでいる」建築だとは予想だにしていなかった。建物の左右に伸びる翼の部分が浮遊感を生み出す主要因なのだが、そこには天井が異様に低い、まるで使い道のない空間しかない。ここまでして鳳凰を表現したかった理由は理解できないが、鳳凰というモチーフと日本建築の持つ視覚的な軽さが絶妙にマッチしているため、他に類を見ない力強さを建築全体に与えていた。
平等院鳳凰堂が、日本の伝統様式が持つポテンシャルを理解した設計者によるデザインなのか、貴族の突飛な要望から生まれた偶然のデザインなのかはわからない。しかし普通のものが少し変化しただけで圧倒的なパワーを生むデザインに感銘を受けたのだった。
MAD、そして自分の目指すべき究極の方向性は、実は平等院鳳凰堂なのかもしれない。平等院鳳凰堂は1050年頃に建てられたものだ。1000年遅れて、2050年にはこんな建築をデザインできるだろうか?