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ハーバードから見た日本の現代建築史 -丹下スクールvs篠原スクール その2-ハーバードから見た日本の現代建築史 -丹…
2019.03.23
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ハーバードから見た日本の現代建築史 -丹下スクールvs篠原スクール その2-
※本記事は、取締役COOの川島がハーバード大学デザイン大学院(GSD)留学時代のブログに一部編集を加え、転載しています。
一方で、篠原一男は工学主義(technocratic)の丹下スクールが全盛の中、「住宅は美しくなければいけない」と言い切り、丹下スクールのようにモダニズムの視点から日本の伝統建築を捉えることを良しとせず、慈光院に見られるような建築要素と人の精神的な関係性にに注目すべきだと主張する。
篠原一男のスタイルは第一から第四と次々に変遷していくが、建築要素を抽象化し実験を行う独特な空間作りは、日本の発展を背負っていた丹下スクールとは全く別の場所で、民主的、芸術的に熟成され、篠原自身のカリスマ性とともに次世代の建築家に大きな影響を及ぼすようになる。
伊藤豊雄やSANAAは本人たちも明言するように篠原一男から大きな影響を受けている。例えば、SANAAに見られる大量の模型のスタディを通して形を決めていく作業、アトリエ・ワンのメイド・イン・トーキョーに見られる発見のプロセスは、理論的・演繹的にデザインを行う丹下スクールとは対照的で、民主的な作業とも言える。
そして、特に2000年台以降に篠原スクールのアプローチは花開き、世界で大活躍するようになる。自分が建築を勉強し始めたときもSANAAの作品はたくさん勉強したし、そのシンプルさと面白さに興奮をしたものだ。
セン・クアンによるこのフレームワークは、GSDの学生に対して大変大きな反響があった。まず、上海での篠原一男の大規模な展覧会の影響で、GSD学生の1/4を締める中国人学生からの支持は絶大なものがある。その上、工学的(technocratic)、権威的(top-down)のような丹下スクールのキーワードと、芸術的(artistic)、民主的(democratic)のような篠原スクールのキワードを比較したら、GSDのようなコンテクストでは前者が悪口、後者が褒め言葉となるので、学生がどちらを支持するのかは明白だ。
僕自身としては、この一連のフレームワークに深く納得する一方で、授業におけるディスカッションの中で「丹下スクールの時代は終わり、篠原スクールの時代なんだね!」という他の学生の無邪気な捉え方に大変なるショックを受けた。なぜかと言えば、自分自身が東大建築学科出身であり、建築におけるサイエンス、そして工学主義のあり方が本流だと信じ、ここまで歩んで来た人間だからだ。
丹下健三の時代が終わったわけがない、代々木体育館やカテドラルは今行っても心から感動する、だけど現代の篠原スクールの隆盛は疑いようもない、そんな思考がぐるぐると回り、わけがわからなくなってしまった。
そんな中、竹中時代の上司から「どんなに時代が変わっても、工学的なアプローチは不変と思います。ブレずに頑張って行って下さい」とメッセージをもらったことが、心の拠り所となっている。
今後の作品づくりにおいて、何を見据えて行けば良いのか本当に慎重に歩みを進めなければならないと、心と身体に刻み込まれた瞬間でもあった。